真実の愛とは何か?ブログ文学の地平を切り開く
私を見て、ぎゅっと愛して 七井翔子著
読者の声
『私を見て、ぎゅっと愛して』の読者から多くの感想をいただきました。
その一部を、ここでご紹介させていただきます。
- ★アキコGさん
-
やっと書く気になれたのでPCに向かっている。
ここのところ、ずーっと「どうやって書こうかな」と考え続けていたのだけれど、上手く書けるかはやっぱりわからない。
ただ色んな人に届けたいと思ったので、書く。
2年前の2004年の初め頃、北海道の実家であたしは昼夜逆転の生活を送っていた。
残念ながら普通のパブクラブにいただけ。昼過ぎに起き出し、夕方に出勤する。
休日はその時間帯のまま、猫と共に夜中じゅう起きてPCに向かってネットをし暇をつぶしていた。
どこのリンクからそこに辿り着いたのだったか、思い出せない。
「翔子の出愛系日記」
cgiboyの「大人の日記」のランキング上位にあるアダルト系の日記にどういう気まぐれかアクセスした。
淡々と読む。
30代のとある女性が、婚約者のいる身で出会い系サイトで男性を漁るように見つけ、会い、セックスしてはその様子をつぶさに再現している日記だった。
別に、よくある内容と思った。のだが、妙にひっかかった。
何か、変だ。
いや、実際何が変というわけではないのだけれど・・・セックスの体験を書き記す日記というのはいくつか他にも読んだことはある。けれど、そういう日記と「翔子の出愛系日記」という、このいかにもなタイトルの日記は明らかに文体が違っていた。
奔放でふしだらな女性を装っているけれど、どこか別の場所からそういう自分を冷徹に眺めている。そうでなければ、・・・上手くいえないけれど、こんな緻密で正確な表現はできないのではないか。そして、語彙の豊富さ。一般の人が絶対に使わない言葉が、さりげなく出てくるのだ。
これは半端でなく本を読む人であると直感した。
ただ、内容は出会い系で見つける男とのセックスなので、そのときは
「文才のあるひとが書いてるんだなあ、どんな人なんだろ」
〜という程度の興味におさまった。そして、数日後にはその興味も忘れ去られていった。
数ヵ月後、あたしは同じ日記の「続き」を読んで、PCの前で胸をかきむしって号泣することになる。
どうしてこんなことに。
どうして?
なんだかこうなるような気もしていた。
だけど、そんな。
当時「カウンターがこわれたかのような」アクセス数になっていたという「翔子の出愛系日記」だが、一体どれだけの人があたしと同じように書き手の女性に感情移入し心の底から涙を流したのだろう。全く見も知らない女性のために、と思うととても不思議な気がするが、でも現実にそうだったと思われる。
サイトの掲示板に「辛すぎて見ていられない、もういいよ」という若い男性かららしい書き込みを見たこともあった。書き手の彼女が自分自身の日記の中で、読者からの反応について言及することもあった。「作り話だ」という中傷もあったようだが、とにかく誰もが彼女を案じ、知り合いもしくは自分のことのように胸を痛めたと思う。
単なるアダルトの日記だったはずの「出愛系日記」は、七井翔子という一人の女性の、心と現実の凄まじい記録と化していた。
心がしじゅう嵐に吹きさらされるような日々を、時に遅れることがあったとしても、彼女は自分に課せられた大切な仕事のように、誠実に、書き記した。
しかも、状況を冷静に物書きの目で見る才能を彼女は持ち合わせていた。表現する力も持っていた。書くことで現実をしっかり把握しているのか、把握しているから書けるのかわからないけれど、誰が読んでもそれは驚異的なことだった。
そのため「作り話だ」云々という言葉が投げつけられたのだろうけれど、リアルタイムで読んでいたらわかる。ただただ彼女が現実を的確に把握し、完璧に文章化しているだけだったのだ。
もちろん、それは起こった事実をもう一度自分の中に取り込んで咀嚼する作業なのだが、咀嚼する事実が粉々のガラスの破片だったろう、ということも想像に難くない。
別に彼女の家族が全員亡くなったとか、恋人が理不尽に殺されたとかそんな話ではない。
あたしたちの日常でももしかしたら起こりえること。もしかしたらもうあなたの中で起こっていること。
そのすべてが様々な人の愛情のために起こったことだと思う。親が子供を愛する。子供が親を愛する。男が女を愛する。女が男を愛する。人が人を愛する。
だからこそ、体を裂かれるように辛かったし、そこから逃げない彼女がみんな、いとおしかったのだと思う。
そんな辛い本は読みたくないとは思わないで欲しい。
最後まで読んでくれたら、絶対に全ての人が心から笑顔になれるはずだとあたしは確信する。
この「人生の一部の記録」を残してくれた七井翔子という女性に感謝できるはずだ。
翔子さんが今も元気に生きていて、そして幸せそうに文章を書いていてくれることが心から嬉しい。
彼女の本を手に取れる日が来たことが、本当に嬉しい。
翔子さん、ありがとう。
どうかこれからも、美しい言葉で、素敵な言葉で、心の世界を書き続けてください。